みのやでラーメンを食べて満員電車に乗る

みのやの極太麺は量が多過ぎた

昨日さっぽろ焙煎ラーメンみのやという店でラーメンを食べました。

みのやは美園店へは何回か行ったことがあるので(今はもう閉店していますが)、気になって店に入ってみました。

極太麺というのがとても美味しそうだったので頼んだのですが、予想以上に量が多かったです。かの有名なラーメン次郎で出てくるような量で、もやしとにんにくがこんもり盛ってありました。

(あ、麺が太いだけじゃないんだ……)と感じるのと同時に(これたぶん食べ切るの無理だな)と直感しました。

たしかに、メニューにあった画像でも量が多そうというのはわかっていたので僕のミスです。

とはいえ、汁を飲まなければなんとかいけるかなと必死で食べました。

食べ切るのが絶望的と分かるにつれ味を楽しむ余裕がなくなりました。

腹八分あたりまで食べたときふっと一瞬楽になったので、もしかしたら食べ切れるかもしれないと思いましたが結局無理でした。

これ以上食べたら吐いてしまうなという所まで食べ、腹をくくりました。

素直に店員さんに謝ろう、と。

「ごちそうさまでした」と言いレジの前に立ち、「すいません、全部食べ切れませんでした。申し訳ない」と頭を下げると、笑顔で「いいですよ」と言ってくれたので助かりました。

その店員さんはあまり愛想が良くなかったので、やはり愛想の良い店員さんのいる店のほうがリラックス出来るなあともやもやしていたのですが、僕のお残しを笑顔で許してくれたので細かいことはどうでもよくなりました。

しかし若干の罪悪感を抱えながら満員電車に揺られて帰ったのでした。

満員電車にて。いきなり背後から押しのけられる

ところで話は変わりますが、満員電車に乗っていて降りる客をかわす際、僕は普段満員電車に乗らないので第一波をかわした時点で油断していたのですが、なかほどまで詰めていた客が時間差で降りるつまり第二波があるんですね。

そこで思ったのは、その時間差で降りる客3人が全員無言で僕を押しのけていったんですけれども、なぜ何も声を発しないのかということです。

というのは、マナーうんぬんの話ではなく、無言でいきなり背後から押しのけられるとびっくりするんですよね。

「すいませーん、降りまーす」などと言いながら迫ってくるのであればこちらも覚悟できますし、よけてあげることもできます。

たしかに、僕は入口付近に立っていたので邪魔だったのかもしれません。だけど、たぶんそういう問題じゃないと思うんですよね。

それは、毎日満員電車に乗っている人にとってはそれが普通で、つまり無言で押しのける側も押しのけられる側も慣れっこなんでしょうね。

しかし、何か声を発してくれたほうがこちらも気分が良いし(まあそれでも降りる人は結局人波を掻き分けることになるのですが)、合理的でもあると思います。

中まで詰めない人がけっこういるのはなぜなのか

合理的といえば、電車の中が混んでいるにもかかわらず中まで詰めないという現象がありますよね。

あれも、先に入った人が中まで詰めれば全員がハッピーになると思うんですけど、なぜか高確率で入口付近に溜まりますね。

これらのことが起こる原因って、多くの人が自分対その他(群衆)で自分の立ち位置を決めているからではないでしょうか。

たとえば、僕はまず全体を見て自分の立ち位置を決めます。というのは僕は、席が空いていたらさっさと座り、入口付近で乗客が溜まると率先してなかほどへ行き、時には自分が乗るにはギリギリだと感じるほど混んでいたら次の電車を待ちます。

つまり、僕は自分がそうしたいからといって入り口付近の手すりにしがみつくことはありませんし、どうせあと一駅だからといって席が空いているにもかかわらず立つこともありません。全体を見て、自分がすっぽりはまる位置を探すのです。

しかし、自分対その他(群衆)で捉えている人は全体を見るという感覚に乏しいのでしょう。それはあくまでも自分本位です。

全体を考えて動くと損をするときもある

ただ僕のように全体を見て動くと損をすることがあります。たとえば、大きいキャリーケースを引きずっている人を見れば、自分が座るよりこの人が座ったほうが楽だろうと僕はあえて席に座りません。もちろんそこで席に座るかどうかを決めるのはその人の意思ですから「この席にお座りください」などと声をかけることはありませんが、この場合自分は座れないという損をすることになります。

僕にも損得勘定はありますが、できれば損得勘定で動きたくないという習性があります。言ってみれば「ちょっと男子静かにしてー!」と注意する役を買ってしまう女子みたいなものですね。まあ、僕は男ですけど。

ただ、僕の行動原理が正しいか賢いかとかは知りません。僕がそうしたくてやっているだけです。