ありがとうが言えない

僕は「ありがとう」と言うのが苦手です。

それはなぜなのか、そもそも「ありがとう」は日常生活において必要なのか、考えてみる。

そもそもそれ、頼んでいません

まず「ありがとう」がなかなか出てこない理由の一つとして、頼んでいないというのがある。

僕はよく、頼んでいないのにいつの間にか世話をされているということがある。

「その人の世話がなかったらおそらく僕は困るであろう」ということから「その人の世話がなくても大して困らないひいてはむしろ余計なお世話」ということまで含めてである。

「その人の世話がなくても大して困らないひいてはむしろ余計なお世話」に関してはさほど解説はいらないだろう。要は相手が「僕にとって困ること」を勘違いしているのである。

では、「その人の世話がなかったらおそらく僕は困るであろう」ということに関してはどうか。

究極は、「その世話がなかったら僕が餓死する」ということでなければ「僕は困ってもよい」のである。それはなぜか。

困ることにも意味はある。ただし、死にそうになったら助けてくれるとありがたい

困ることは悪いことばかりでもないからである。困った挙句問題を解決することによって自信と知恵が生まれることはよくある。

ということはつまり、僕が心から感謝するときが来るとすれば、それは餓死しそうな状況もしくは死にそうになった状況において他人から助けられた場合ではないか。

しかし、日本に住んでいるとそういった状況に陥ることはまずないだろう。あるとすれば、他人や国の助けは借りたくないというこだわりを持つ場合であろう。そういうこだわりさえ持たなければ裕福な日本において為す術もなく死ぬということは滅多にない。もちろん、不治の病にかかったとか指定難病にかかったとか老衰とかは除く。

なので、どうしても心から感謝したいと僕が願う場合は、発展途上国において一人旅をするか厄介な病気にかかるかのどちらかしかないのではないか。そして、今の所わざわざそういった窮地に自分を陥らせる気はない。

日本語の「ありがとう」はちょっと重い

あと「ありがとう」を言えない理由としては、日本語の「ありがとう」または「ありがとうございます」が重いというのがある。

重いというのは、たとえば友達同士で感謝の念を示すときは「サンキュー」「ありがと」「助かった」「ども(です)」などがあるが、「ありがとう」または「ありがとうございます」までいくと畏まった感じがするしさらには感謝の念も強い印象を受ける。

僕としては「Thank you」または「サンキュー」を日本で使用しても違和感を持たれない世界が理想だが、現実はそうでない。

なので、買い物をして「サンキュー」とか「どうもー」などと言うのはちょっと気が引ける。それは上から目線なのではないか、と思ってしまう。僕は、客が上でサービスをする側が下とは思っていないので躊躇してしまう。社会的に目上の人に対してはなおさらである。

日本における過剰なサービスにうろたえる

少し主旨は変わるが、日本はサービスが過剰というのもある。

つまり何が言いたいのかというと、「ありがとう」または「ありがとうございます」と言う隙を与えてくれないのだ。

「忘れ物はございませんか?」「合計で〇〇円になります」「ありがとうございました、またお越し下さいませー!」と怒涛の如く浴びせられるともう感謝を念を伝える暇もなく、ただ会釈するしかない気分になる。

これは、先に「ありがとう(ございました)」と言われると「はい」と言って会釈せざるをえない気分になる僕の習性もあります。

丁寧に会釈すれば感謝の念は伝わるんじゃないか

結論としては、会釈でも十分感謝の念は伝わるのではないか、ということです。

僕は、ビジネスホテルのナイトフロントをやっていて、「ありがとう」と直接言われなくても会釈されるだけで「ありがたい」と思った経験から、無理に「ありがとう(ございます)」と言わなくても立ち居振る舞いで感謝の念は伝わるということを知ったのです。

だから、「ありがとう(ございます)」と言えなくても感謝の念を伝える方法は他にもあるのではないかと思った次第であります。

 

<2017/4/10 追記>

彼女にあっさり「ありがとうってそんな重苦しいものじゃないですよ」と言われてしまった。

そこで気付いたのだが、男と女とでは「ありがとう」に対する感覚が異なるのではないか。

女にとって(もちろん全ての女性がとは言わない)「ありがとう」はニュアンスとして、「Thank you」または「Thanks」に近いのだと思う。特に女同士の会話で「ありがとう」を連発しているのをよく耳にするのも「ありがとう」に対するハードルが低いからであろう。

逆にこれが男同士だと、「こないだはどうもでした」「いえいえ、こちらこそありがとうございました」とビジネスが絡んでそうな畏まった会話で耳にすることはあれど、プライベートでの「ありがとう」はあまり馴染みがない。

 

しかしここまで書いておいてなんだが、結局僕はものを考えるとき自分の感覚を基にしているので、男がどうこう女がどうこう一般的にどうこうといった話には自信がない。

自分の感覚を基にしている理由は、人間究極は自分の感覚しか分からないと思っているからである。裏を返せば、自分の感覚に耳を澄ませた情報こそが他人にとっても信用に値する(ひいては有益な)情報になるのではないかと感じている。